ナイロビ旅行

幹事会というボランティア総会の打ち合わせでナイロビへ上がった。途中、ナクルで隊員が行うイベントに参加。ナクルではとある隊員がホテルの予約キャンセルについてホテル側ともめて、日曜朝から1時間ほどの話し合いに付き合う。明らかにホテル側に落ち度があるのだが一切認めずキャンセル料として全額請求される。1000シリングという金額としては大したものでは無いが、全くお客様の言うことを聞こうとしないホテル側、これがケニアなのかとまたもやがっかりさせられる。

ナイロビでの打ち合わせは2日間。これが最後の幹事会。隔月で1回程度の打ち合わせは負担となることも多かったが、他の隊次の隊員と接する良い機会となったと思う。これが無かったら、任地へ引きこもって全く姿を見せない人になっていたかもしれない。

ナイロビでの夜食は、初日がドミトリーそばの韓国料理店、ハンコック。ここ、味が落ちて値段が上がった気がする。JICAスペシャルは無くなっていた。豚カルビを頼んだら、焼肉定食1人前ほどの肉しかないのに1,350シリングもする。
2日目の夜はJCASIIというスワヒリ語学校を経営する日本人の方のところから日本食をテイクアウト。納豆、から揚げ、串揚げ、ポテトサラダ、そして丸いお米。ケニア赴任当初とはまるで違う感動を味わった。

ナイロビでは、キスムで見当たらなった両面テープを購入。Yayaセンター1階の工具やさんで、5mほどのものが300シリング。念のため4本購入。

帰りは飛行機。タウンによってUSDの両替を行い、市バスで空港へ向かっていたところ、空港が見えてきたところでバスがパンク。時間的に余裕が無かったので、ヒッチハイクをする。ムズング特典なのか、すぐに止まってくれて空港の入り口交差点まで乗っけて行ってくれる。自分が止めたら相乗りしたいというケニア人が3人ほど乗ってくる。いくらか払おうと思ったが、その素振りが無かったのでご厚意に甘えることにする。
そこから歩こうと思ったが、車のゲートで警備員にタクシーに乗って行けとたまたま通りかかった空車のタクシーに乗せられる。ターミナルまで4人で100シリングづつ払った。

ひやひやしながら、出発50分ほど前にチェックインを終える。帰りの飛行機は順調で、2時過ぎにキスム到着。

そんなナイロビ旅行でした。

Masai Mara Marathon

サファリで有名なMasai Maraで行われるマラソンへ参加してきました。
といっても、さすがに走るのは国立公園内の中ではなく、そのすぐわきの私有地です。野生動物がわんさかいたり、入園料がかかる関係なのだと思います。距離はハーフ、21㎞です。

これに向けて地味に2か月くらい60㎞/月位走ってきたので、完走はそれほど心配していません。そして現地に着くと、賞金レースだけあって本気モードのケニア人がわんさかいます。

普段周りにいるケニア人は明らかな肥満体ばかりなので、まるで野生動物のように鍛え抜かれ、体脂肪が間違いなく一けた台であると思われるアスリートがあるまると、その体の美しさに見とれてしまいます。

スタートは10時のところ、1時間ほど遅れて11時。1時間30分くらいまでは普段のジョギングの延長で楽に走れていました。しかし、最後の5㎞は足が止まりまっした。先にゴールが見えるのに、そこから左へ大きく迂回し、ゴールが遠ざかると気持ちがなえるのと同時に足も止まり5分ほど歩きます。気を取り直して再度足を動かしゴール。時間は2時間6分くらい。順位は男子で175位でした。多分男子全体で2/3位の位置だと思います。

参加したJICAボランティアは併催された5㎞と合わせて約20名程。良い思い出になりました。

残念だったのはどこまでもケニア的なその主催者たち。

スタートポイントまでは、主要道路から奥へ2時間以上入ったところなのですが、そこまで看板は一切ありません。車を借り上げて行ったのですが、そのドライバーさんは普段マサイマラのゲームドライブをしているのでマサイマラには精通しているのですが、道が分からず現場へ向かう関係者の車の後へ付いて現地へ。

現地へ付いてもスタートポイントとキャンプサイトが分かれていて、キャンプサイトから3㎞ほど離れたところにスタートポイントがありそこまでの看板もありません。キャンプサイトからスタートポイントまで車で移動したところ、ぬかるみにはまり車がスタック。実はちゃんと車が通れる道があったにもかかわらず、ぬかるみのある近道(?)を手で案内された結果です。

8時からと案内されていた、開催式もあったのか良くわかりません。
本当は11月4日くらいが申し込みの締め切りだったはずが、現地で受け付けもしていました。そして、料金支払いのレシートを見せなくともただゼッケンを渡され受付終了。お金を払わなくても参加できたのかもしれません。ま、現地まで来るのが相当に大変ですが。

そして事前には5㎞、21㎞とも同時スタートのはずが5㎞がはじめにスタート。遅れる事約1時間、11時に21㎞がスタート。みんな並んでいるのに、なかなかスタートの合図が切られません。

水は5㎞毎にあるとの話でしたが、先頭集団の分しかなく、中盤以降の走者はなかなか水にありつけず、水を求めて走っているという始末。

時間も制限時間が2時間半という案内が、実際には3時間を超えても終わることなく最後の走者を迎えます。これは逆に良かったです。

トイレも走り終わって帰ってきたらやっと設営されていました。

残念ながら、遠くにインパラ、トピ、シマウマ、キリン、ヌーが見えますが間近で見られるようなことはありませんでした。

最後に、私たちはバンを借り上げて現地入りしていましたが、その空きシートを狙い車に詰め寄るケニア人の厚かましさ。

と、最後までケニア的な感じでレースは終了。

スポンサーであるケニア・エアウェイズは、世界的な大会にするべくマサイマラ開催としているのでしょうが、この管理では逆に評判を落とすばかりかと思います。

帰宅して、体は全然元気だったのですが、炎天下に1日中外に居たのでものすごい日焼け。対策をしておくべきでした:-)

ジャカランダが咲き始めた

 

定かではないが、去年は9月ごろに咲いていた気がするジャカランダ。キスムの街でも咲いているのを見かけるようになりました。こちらで暮らしていると、雨季と乾季があると言われているけど、そういう季節感はなかなか実感できません。1週間暑かったと思えば、次の1週間は涼しかったり、そして雨が降り始めると何週間も夕立が続いたり。なのに、こういう植物はちゃんと季節を感じて、同じ時期に咲くのでしょうか?日本の桜のように、すこし暖かくなっただけで春と間違って咲いてしまうような馬鹿な真似はしないようです。

もし次に応募するとしたら

こちらの教育システムはよくわからないが、今、ケニアではKCSEというセカンダリ・ハイスクールの最上学年を対象にしたテストを行っている。これが終わると学期の間の休みに入る。

ケニアでも学校で教えている多くの隊員がいる。隊員も学校が終われば、学校でのみ活動している場合は基本的に長期休みに入る。

こっちは保健省なので、基本的にカレンダーに沿った活動で、長期休暇はなかなか取りづらい。

そんなこともあり、もし、仮に、気が変わって、万が一もう一度ボランティアで来るとしたら学校での活動を選ぶと思う。大人のようなある程度人間形成ができてしまった人に何を言っても無駄というのも大きいかもしれない。

VMMCキャンペーン

 

VMMC( voluntary medical male circumcision)というHIV感染予防を目的とした男性割礼の催しがあるというので行ってみた。

場所はキスムのタウンから少し外れたコンデレという住宅地。

開始は9時という予定。現場には10時に到着。当然のように始まっておらず、椅子が並べられ、大音響で音楽が流れるだけで何が始まるか全くわからない。

そんな中、場繋ぎなのか、子供たちをステージに乗せて即興と思われるダンスコンテストが始まった。まだ6歳くらいと思われる女の子が、どう見てもストリップダンサーにしか見えないような踊りを披露しているのに興奮する。背中を見せて、怪しい腰つきで腰を振っている。あらら・・。

やっと10時半ころ、公式プログラムの伴奏なしの国家斉唱から、ダンスが始まり、お偉いさん方のスピーチが次々に30分ほど続いたところで退散。

そもそも自分の場合、男性割礼でHIV感染予防をしようという考え自体否定的なのだが、そこは譲るとして、こういったキャンペーンをやるなら、目的、対象者、効果測定などを明確にしてもらいたいところだ。

・どうやったら男性にVMMCを受けてもらえるのか?

・対象は子供なのか、既婚者なのか?

・費用対効果をどう見積もるのか?

少なくとも、VMMCと関係のないダンスやお偉いさん方のスピーチではないはず。

あまりにもこういった観点にとらわれすぎて、こじんまりとした活動となってしまってはそれは違うのだが、あまりにもその辺をうやむやに予算が付いて、実行しているだけだと何も変わらないよなーと思って帰路に着いた。Unicefがスポンサーについているという事は、日本も相当な拠出をしているわけで、一言言いたくなるわけである。

ニャンド県の水害

 

この写真、10月28日に職場のあるヘッドクォーターズのビル16階から撮ったものです。
今シーズンは本当に雨が多いらしく、前日から強い雨が続いた隣のニャンド県ではこんな風に水たまりができてしまっています(写真右側がビクトリア湖、手前がキスムタウン、奥がニャンドです)。
この水害に対するプロジェクトを日本のODA(無償資金協力)で行っているようですが、根本的な解消には至っていないようです。ま、それも費用対効果なんでしょうけど。

終わりが見えてきたところで

今日から11月。残りも本当に後2か月になってしまった。残念なのは1番当てにしていた同僚と計画を全くすすめられていない事。

来た当初から話が出ていることの1つが、州配下の県事務所を回り、データ管理について指導していくというもの。車で行く燃料代、宿泊代を出してくれるスポンサーは見つかっているのだが詳細な内容が詰めらずに停滞中。自分としては、指導する立場の州が全く何もできていないのでまずは彼らに対して技術の伝達を行いたいところだが、常に不在がちな彼らと計画を立ててものをすすめていくのが難しい。

2つ目は州のウェブサイトを持とうというもの。2011年3月頃話をもらい、4月にはイメージを掴んでもらうためにJoomlaでサンプルサイトを立ち上げた。それを紹介するとものすごく乗り気だったのだが、コンテンツの話になると全く話が前に進まない。口癖のように「too busy」を繰り返すばかり。

そして職場のネットワーク強化。
これについては完全に忘れられたようにとボケられる。ネットワークが繋がらなくてプリントできなくても、「これプリントしてくれ」と平気な顔でフラッシュディスクを持ってくるところを見ると関心はゼロの様子。

結局職場で1労働者としてヘルプデスク的な仕事を繰り返すだけで終わるんだろうな。

因みにこの同僚は日本でJICAでトレーニングを受けてきたはずなのだが行動変容が全く見られません。残念な限りです。

手榴弾を発見した際の退避方法

先週JICAの安全対策の方からワールドビジョンのニュースレターに乗っていた情報として以下のようなメールをいただいた。

手榴弾を発見した際の退避方法
1. 手榴弾とは逆の方向を向き、大きく一歩踏み出します
2. すぐにうつ伏せになり、顔を下げます
3. 足を組み、手榴弾のある方向に足をまっすぐにしてのばします。(臓器や足の動脈・神経を守る)
4. 腕を頭の後ろ・うなじに回します。(大動脈を守る)
5. 風圧による鼓膜の損傷を避けるため、口をあけたままにします

ケニアは今ソマリアのテロ組織に対して侵攻をし、それに対する報復と思われる爆弾テロがナイロビで発生。そういう状況を考えればわからなくもないのだが、なんとなくこんなことを教えてもらってもなぁと思ってしまうのはいけない事?

因みに、現在協力隊員はナイロビへの移動は自粛するようお達しが来ています。

家計簿をつけてみる

久しぶりに1か月家計簿をつけてみた。
結果、約34,000シリングの出費。
大きな比率から、交通費34%、食料品(外食含む)28%、雑費(生活雑貨、たばこ等)22%、お酒13%、他電話代500シリング。
交通費には行き飛行機、帰り列車のナイロビの往復が含まれている。支給される生活費は440USD。最近のシリング安で、40,000シリング程の換算になるので、残りが6,000シリング程。お酒を飲まず、移動もバスにすればプラス10,000シリング程は貯蓄できるかもしれない。
生活は無理に切り詰める訳でなく、かといって贅沢をするようなものでは無い生活でこんな感じだと思う。さらに田舎の隊員は食費が安くなる代わり、交通費が若干増えるかもしれない。
頑張れば月2万シリングの貯金をして、半年に1度国内で贅沢旅行、1年に1回海外(任国外)旅行ができるくらいにはなるか。
自分の場合、旅行や大きな買い物でクレジットカードを使用しているので、いったいケニアでの生活が支給される生活費をどれほど使っているのか正確にはわからないが、国内、海外の旅行分以外は生活費で十分事足りていると思う。

応募の動機

協力隊の応募が減っているという。日本での震災を考えるとそれも当然のように思えるが、別の理由として「内向き、安定志向」というものがあるという人もいる。自分の場合の動機はなんだったのかを考えてみる。

協力隊に参加して得られるメリットとして、

・事前研修で、日本で3か月弱も語学研修が無償で受けられる。しかも研修中の住居、食事は無償で与えられる。
・ボランティアとしてだが、海外での2年間の経験はもし自分で海外で何かをやろうと思った際に何かしらの役に立つ。
・仕事に対する意識が低下していて、現実逃避したかった。
・パートナーが見つかるかも^^;

そう。私の場合、動悸はかなり不純です。特に国際協力に興味があったわけでも、途上国でのコンピュータ環境が知りたかったわけでもありません。
現実と上にあげたメリットを比べて参加することにメリットがあると思ったので参加しました。

そして、2年の任期を終了しようとしている現在、それに対する現実は、

語学について、研修と2年の活動を含めて役に立ったかはよくわからない。研修中は語学の他に様々な講座、委員会があったり、赴任へ向けての情報収集、準備で集中できるかは本人次第。自分の場合はできなかった。任地での活動を通しては、自分の場合は一人での活動となることが多く、友達と呼べるようなカウンターパートが見つけられなかったこともあり会話をあまりしていない現実。そして、アフリカ訛りや育った環境、文化の違いで会話がかみ合わない事が多い。中学から数えて長い間習得できずにいるものが突然できるようなことは無い。
英語で自分の意志や考えを細かく伝えられる自身は無い。一般会話になるとほぼ絶望。

海外での経験、特にアフリカ、ケニアでの2年間は貴重な経験となった。こちらから日本を見ると悪いところ、いいところ含め日本がまた違った形で見えてくる。こだわり過ぎな所、日本人の協調性の素晴らしさなど。

現実逃避には最適かもしれない。2年間の活動中は5回のレポートが求められるが、別に何をやっても自由。活動そっちのけで旅行するのも、夜遊びするのも、恋に現を抜かすのも自分次第。私はどれも人並みです。
結果としては良いリフレッシュになり、帰国したらしばらくの間は意識高く仕事ができると思う。

残念ながら、パートナーは見つかっていません・・・。残り2か月ちょっとに望みをつなぎます。

他、体験してみて分かったこと、感じた事。
・国際協力に対する興味を持ち、その仕組みや問題点がなんとなくわかった。
・悪い意味で周りや環境に染まってしまうと2年間を無駄に過ごすことになる。
・団体生活ができないような者と一緒に暮らす事、”ノリ”が若い事前研修は自分の場合かなりな苦痛だった。
・協力隊員による活動は隊員によりピンキリ。ものすごくアクティブな人もいれば、完全に何しに来たか目的を失ってしまっている人もいる。本来の協力隊の趣旨で自分の活動内容を自分で相対評価してみると、自分は中の下くらいか。

・隊員の雰囲気などから、参加するなら社会人を5年くらい経験した30才手前くらいがいい。