終わりが見えてきたところで

今日から11月。残りも本当に後2か月になってしまった。残念なのは1番当てにしていた同僚と計画を全くすすめられていない事。

来た当初から話が出ていることの1つが、州配下の県事務所を回り、データ管理について指導していくというもの。車で行く燃料代、宿泊代を出してくれるスポンサーは見つかっているのだが詳細な内容が詰めらずに停滞中。自分としては、指導する立場の州が全く何もできていないのでまずは彼らに対して技術の伝達を行いたいところだが、常に不在がちな彼らと計画を立ててものをすすめていくのが難しい。

2つ目は州のウェブサイトを持とうというもの。2011年3月頃話をもらい、4月にはイメージを掴んでもらうためにJoomlaでサンプルサイトを立ち上げた。それを紹介するとものすごく乗り気だったのだが、コンテンツの話になると全く話が前に進まない。口癖のように「too busy」を繰り返すばかり。

そして職場のネットワーク強化。
これについては完全に忘れられたようにとボケられる。ネットワークが繋がらなくてプリントできなくても、「これプリントしてくれ」と平気な顔でフラッシュディスクを持ってくるところを見ると関心はゼロの様子。

結局職場で1労働者としてヘルプデスク的な仕事を繰り返すだけで終わるんだろうな。

因みにこの同僚は日本でJICAでトレーニングを受けてきたはずなのだが行動変容が全く見られません。残念な限りです。

手榴弾を発見した際の退避方法

先週JICAの安全対策の方からワールドビジョンのニュースレターに乗っていた情報として以下のようなメールをいただいた。

手榴弾を発見した際の退避方法
1. 手榴弾とは逆の方向を向き、大きく一歩踏み出します
2. すぐにうつ伏せになり、顔を下げます
3. 足を組み、手榴弾のある方向に足をまっすぐにしてのばします。(臓器や足の動脈・神経を守る)
4. 腕を頭の後ろ・うなじに回します。(大動脈を守る)
5. 風圧による鼓膜の損傷を避けるため、口をあけたままにします

ケニアは今ソマリアのテロ組織に対して侵攻をし、それに対する報復と思われる爆弾テロがナイロビで発生。そういう状況を考えればわからなくもないのだが、なんとなくこんなことを教えてもらってもなぁと思ってしまうのはいけない事?

因みに、現在協力隊員はナイロビへの移動は自粛するようお達しが来ています。

家計簿をつけてみる

久しぶりに1か月家計簿をつけてみた。
結果、約34,000シリングの出費。
大きな比率から、交通費34%、食料品(外食含む)28%、雑費(生活雑貨、たばこ等)22%、お酒13%、他電話代500シリング。
交通費には行き飛行機、帰り列車のナイロビの往復が含まれている。支給される生活費は440USD。最近のシリング安で、40,000シリング程の換算になるので、残りが6,000シリング程。お酒を飲まず、移動もバスにすればプラス10,000シリング程は貯蓄できるかもしれない。
生活は無理に切り詰める訳でなく、かといって贅沢をするようなものでは無い生活でこんな感じだと思う。さらに田舎の隊員は食費が安くなる代わり、交通費が若干増えるかもしれない。
頑張れば月2万シリングの貯金をして、半年に1度国内で贅沢旅行、1年に1回海外(任国外)旅行ができるくらいにはなるか。
自分の場合、旅行や大きな買い物でクレジットカードを使用しているので、いったいケニアでの生活が支給される生活費をどれほど使っているのか正確にはわからないが、国内、海外の旅行分以外は生活費で十分事足りていると思う。

応募の動機

協力隊の応募が減っているという。日本での震災を考えるとそれも当然のように思えるが、別の理由として「内向き、安定志向」というものがあるという人もいる。自分の場合の動機はなんだったのかを考えてみる。

協力隊に参加して得られるメリットとして、

・事前研修で、日本で3か月弱も語学研修が無償で受けられる。しかも研修中の住居、食事は無償で与えられる。
・ボランティアとしてだが、海外での2年間の経験はもし自分で海外で何かをやろうと思った際に何かしらの役に立つ。
・仕事に対する意識が低下していて、現実逃避したかった。
・パートナーが見つかるかも^^;

そう。私の場合、動悸はかなり不純です。特に国際協力に興味があったわけでも、途上国でのコンピュータ環境が知りたかったわけでもありません。
現実と上にあげたメリットを比べて参加することにメリットがあると思ったので参加しました。

そして、2年の任期を終了しようとしている現在、それに対する現実は、

語学について、研修と2年の活動を含めて役に立ったかはよくわからない。研修中は語学の他に様々な講座、委員会があったり、赴任へ向けての情報収集、準備で集中できるかは本人次第。自分の場合はできなかった。任地での活動を通しては、自分の場合は一人での活動となることが多く、友達と呼べるようなカウンターパートが見つけられなかったこともあり会話をあまりしていない現実。そして、アフリカ訛りや育った環境、文化の違いで会話がかみ合わない事が多い。中学から数えて長い間習得できずにいるものが突然できるようなことは無い。
英語で自分の意志や考えを細かく伝えられる自身は無い。一般会話になるとほぼ絶望。

海外での経験、特にアフリカ、ケニアでの2年間は貴重な経験となった。こちらから日本を見ると悪いところ、いいところ含め日本がまた違った形で見えてくる。こだわり過ぎな所、日本人の協調性の素晴らしさなど。

現実逃避には最適かもしれない。2年間の活動中は5回のレポートが求められるが、別に何をやっても自由。活動そっちのけで旅行するのも、夜遊びするのも、恋に現を抜かすのも自分次第。私はどれも人並みです。
結果としては良いリフレッシュになり、帰国したらしばらくの間は意識高く仕事ができると思う。

残念ながら、パートナーは見つかっていません・・・。残り2か月ちょっとに望みをつなぎます。

他、体験してみて分かったこと、感じた事。
・国際協力に対する興味を持ち、その仕組みや問題点がなんとなくわかった。
・悪い意味で周りや環境に染まってしまうと2年間を無駄に過ごすことになる。
・団体生活ができないような者と一緒に暮らす事、”ノリ”が若い事前研修は自分の場合かなりな苦痛だった。
・協力隊員による活動は隊員によりピンキリ。ものすごくアクティブな人もいれば、完全に何しに来たか目的を失ってしまっている人もいる。本来の協力隊の趣旨で自分の活動内容を自分で相対評価してみると、自分は中の下くらいか。

・隊員の雰囲気などから、参加するなら社会人を5年くらい経験した30才手前くらいがいい。

ソマリア侵攻

Yahoo!ニュースでも取り上げられていたので日本でも報道されているものと思いますが、2011年10月16日、ケニアがソマリアに軍事侵攻をしました。10月に入り「国境なき医師団」のスペイン人女性2人が誘拐され、ソマリアに連れ去られたという事件が決め手となったようです。この事件の前にも海岸地方北部のラムではソマリアの過激派組織によると思われる、外国人の殺害、誘拐が2件発生しています。これを受けて、約1年前にJICAで渡航可能地域になっていたラム島周辺への渡航が禁止されました。
ケニアのテレビ、新聞でも当然ながら大きく取り上げられています。
ケニアに住んでいる以上、他人事ではないのですが私の住んでいる町、キスムは何か危険を感じさせるような変化は今のところありません。
こちらで暮らしていると、特に危険を直接感じることはまれで、危機感が薄れて行ってしまいますが、ケニアは国際的に国家として認められていないソマリアと隣接していることもあり、「日本とは違う」ということを再認識しないといけないと感じました。

ナイロビから列車でキスムへ

 

9月24日に21年2次隊の送別会、26、27日に幹事会というボランティアミーティングがありナイロビへ行きました。帰りは初の列車でキスムへ戻りました。ナイロビを28日18:30ちょっと過ぎのほぼ時刻通りに出発し、着いたのが翌29日8:30。約14時間の旅です。席は2等でベッド付き。揺れがものすごいのと、寒いのであまり寝られず。

朝、車窓から外を眺めてみると、停車した駅では結構な乗り降りがあります。週3便ですが利用者はそれなりにいるようです。因みに、2等は夕、朝食付きで1,750シリング。3等は驚きの350シリングです。挑戦しようとは思いませんけど。

Ugenyaのファシリティ―へ行ってみた

JICAのプロジェクトについて、Ugenyaにある2つのファシリティ、Umer Community Dispensaryと、St Paul Dispensaryへ行った。目的は、今度行う基礎データ収取のためのアンケート調査を行うに際し、アンケートが適当かどうかを判断するプレテスト。

Umer Community Dispensaryは幹線道路からかなり奥地に入った場所にある。そこで、1人の看護師とお手伝いさんの2人で仕事をしているっぽかった。日本でいうと、相当なへき地診療所だろうが、こちらではこのような施設はたくさんあるそうな。

カレン・ブリクセン・ミュージアム

ナイロビに来たついでに、あまり観光していないカレン地区に行ってみました。一番の目的はKaren blixen museumへ行くこと。ちゃんとOut of Africaの映画もみて予習もばっちりです。

協力隊員に支給されているIDでレジデントで入館しようとしたところ、これはレジデントのIDにはならないと若干もめましたがレジデントで入館できました。入館料100シリング。

映画を見ていくと、シーンとかぶりより楽しめると思います。入館料を払わなくても広大な芝生にぽつんと存在するかわいい一軒家は雰囲気があります。

隣接するお土産屋さんで、なぜかティンガ・ティンガのパズルが売られていたので衝動買い。1,900シリング。

ナイロビの蜂

先日観た「愛と哀しみの果て(Out of Africa)」に続き、「ナイロビの蜂(The Constant Gardener)」を観ました。題名をずっとナイロビの”ほう”だと思っていのですが、ハチが正しいことを知りとても恥ずかしい思いをしたことは置いておいて、この映画もケニアを舞台にしていて、知った地名や風景、言葉が出てきてケニアに滞在しているものにとっては色々な意味で楽しめる映画になっています。話の内容が援助や保健についても触れられるので、ケニアに援助関係で来ることを考えている方、すでに活動されている方にもおすすめかもしれません。

東アフリカの映画シリーズ、次は何を観ようか。愛と野望のナイル(Mountains of the Moon)あたりかな。