23年春募集1次選考結果

先日(2011年7月21日)、平成23年、青年海外協力隊春募集の1次選考結果が発表(PDF)された。ちょうど2年前半、この数字だけの合格発表を見てうれしさ半分、本当に行くのか?という決断が付かない気持ちだったことを思い出した。

全体の募集、選考で見てみると、震災の影響で22年度春に比べて応募数は約1割減(971→857)、応募者は3割超減(2046→1351)、合格率だけ若干上がって69%。

村落開発普及員、青少年活動など、職種によっては相変わらずの2倍前後の高い倍率となっている。今回じっくり数字を見て驚いたのは、村落、青少年については2次選考についても倍率が2倍前後あること。

日本で積み立てられる手当が減額されたこともあって、もっと減っていると思ったのだがやはりお金ではない何かに引かれてみんな応募するのだろう。ちなみに私の職種のコンピュータ技術は募集30のところ、応募が26。合格24名となっています。定員割れです。PCインストラクターは募集25、応募28、合格20名。技術が必要だと言われるけど、実際そんなに高いものは必要ないので、村落や青少年で考えている人、PCインストラクターが一番協力隊への近道かもしれません。

そうなると目的を見失い手段にとらわれてしまう気もしますけど。

外務省のページ「草の根外交官:共生と絆のために~我が国の海外ボランティア事業~」について

外務省が青年海外協力隊について政策ペーパーをまとめたとの事なので見てみた。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shimin/seinen.html#seisaku_p

確かに良く調査されていて、隊員が活動している中で感じる問題点も指摘されている。結果としては、改善を図りながら今後も継続して行いくという事らしい。こういった事業は必要だと思うので、有識者の意見を取り入れてぜひ良い方向に改善していってもらいたい。

一番共感したのは、7ページのこの部分。

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「(重点地域・重点国)―「選択と集中」と中進国化が進む国への対応」

~省略~

途上国が,資金さえあれば雇用できる技術者が国内にいるにもかかわらず,無償ボランティアの提案であるが故に我が国からの役務提供を受けるという問題がある。

海外ボランティア事業が途上国への新たな経験や技能の伝達を伴わない単純な労働代替とならないよう,中進国化が進む国に対しては,今後派遣する海外ボランティアを基礎技術保持者からより高度の技術保持者に移行させるなど,個別具体的な状況に応じて適切な策を講じていく。

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その通り。携帯電話が広く普及して、3GやWiMAXで簡単にインターネットに接続でき、街にはパソコン屋が普通にあるようなところなので資金さえあれば技術者なんていくらでもいる。

ただ、問題の解決は高度技術保持者への移行ではなくて、ボランティアと受け入れ先のマッチングだと思う。今でもいくらでも高度技術保持者のボランティアはいるが、その方々が力を発揮できるところに赴任しているかとなると少ないように思う。そこが問題。

後は仕分けの報告で上げられていた、「調整員」についても政策を聞いてみたい。

事業仕分け第3弾の結果はこちら。合わせて読むと面白い。

http://www.cao.go.jp/sasshin/shiwake3/details/2010-11-17.html#A-20

キスムvsエルドレット

週末、1年ぶりにエルドレットへ行ってみた。前回行ったときは、「キスムよりもちょっと大きいなぁ」と感じたが、今回は完全にキスム負けた感じ。新しくできたTuskeysのショッピングモールZION MALLにはデリが充実していて、惣菜が量り売りされている。これ、ナイロビ級と見た。また、ケニアのおしゃれなカフェの1つ、ドーマンズ系のカフェができているではないか。キスムにあったおしゃれなカフェはずいぶん前に店を閉めている。街中には気軽に入れそうなそれなりのレストランがいくつもあり、中には24時間営業のものもあるらしい。キスムタウンで落ち着いて食事というとグリーン・ガーデン・レストランか中華のオリエンタル・レストラン、インド料理のHaandiしかない。

他にも、肉屋の作りを見ても、キスムは掘立小屋のような作りだが、エルドレットはちゃんとした店構えをしたものがたくさんある。

キスムでもいくつかショッピングモールが計画されているが、一向に出来上がる気配はない。おそらく後半年の任期中には無理だろう。

過去にはキスムはケニア第3の都市だったようだが、今では、ナイロビ、モンバサ、ナクル、エルドレットに次いで5番目くらいに感じる。何でなのかなー、と少しだけ考えてみた。ケニア人に言わせると、きっと政治と絡めて理由づけするのだろうがその辺は良くわからないので、浅い考察に違いないけど。

・2000m超の高地でとても過ごしやすい

・マラリヤの危険が無い

・良く雨が降るということなので、多分水が豊富

本当のところはなんでなんでしょう?何か、大きな資本が注がれている気がしないでもないんだけど。

休暇後

気づけば約1ヶ月ぶりの投稿。

というのも、この1ヶ月、モンバサ、マサイマラ、ナイロビでの打ち合わせを挟んでタンザニアへ2週間と長期休暇をとり旅行しておりました。

休暇後で活動に対するやるきに満ちて任地へ帰宅した、と言いたいところですが休息で得た活力はどうも活動の方へは向いてくれそうにありません。原因は自分の無力さが改めて分かったからかもしれません。

とは言っても後悔はしたくありません。無力であれば無力なりに出来る事を見つけてみましょうか。

タンザニア8日目

キルワからバスでダルエスサラームへ戻る。バスは朝6時の出発という事だったが、ちょっと遅れて出発。到着はお昼過ぎ。行きのダラダラクラスの中型バスに比べて、帰りは大型バスの中間あたりのシートに座ったので許容できる範囲で揺れは収まる。

予約しておいたSafari Innへチェックイン。

チェックイン時に、何回も「ザンジバルへ行くフェリーは取ったか?」と聞かれ辟易。

タンザニア14日目

チャブダ・ホテルからパール・ゲストハウスという庶民的なホテルへ移動。歩き方に「日本人が多い」と書いてあることがさらに日本人を呼び寄せるのか、となりから日本語が聞こえてくる。安い(といっても10ドルなのでそんなに安くない)ので期待していなかったが、部屋が汚い、ベッドも、マットレスもとりあえずありますレベル。これならもう少し出してKaribu Innにすることをお勧めする。

この日は特にすることもなく、ストーンタウンをぶらぶらして終わり。暑さからか体がだるかったので夕方からは部屋にこもる。

タンザニア15日目

最後のタンザニア、ザンジバルの日。明日は飛行機を乗り継いでキスムへ帰るだけ。歩き方を見ていて気になった、Mangapwaniというところにある洞窟へ行ってみることにする。ダラダラに乗って約40分程。そこから歩いて15分程。歩き方に乗っている情報とは若干違うので注意が必要。

で、洞窟についたはいいけど、日本の洞窟のように整備され、電灯などあるはずもないことについてから気づき、入り口周辺を見ただけで帰ることにした。良く考えると、強力なライトなどあっても、決して奥まで入らない方が身のため。ちょっと後悔したのは、海岸近くだったので海を見てくれば良かったかもしれない。お昼でおなかが空いたので帰ることにした。

帰って、ストーンタウンのレストランでピラウを食べる。この食事がザンジバルでは一番だったかも。

夜は最後の晩餐よろしく、リビングストーンというレストランでちょっと豪華に食事をしていたら、娼婦っぽい人に声をかけられる。はい、ザンジバルにもいるんですね。

タンザニア13日目

ストーンタウンでは高級な部類に入るチャブダホテルへ移動。日本でこのクラスへ泊ることはまずないが、こちらでは少しお金を出せば相当に良いホテルへ泊まることができる。お湯やトイレの水回りがきれいなのが心地よい。日本だと普通のことだが・・・。

この日はザンジバルの市場を巡る。魚市場もあるが、衛生的に見てしまうと魚が食べられなくなるかも。他、肉、野菜などが豊富。そして、ザンジバルは別名スパイス・アイランドというらしくスパイスがたくさん売られている。お見上げ用にといくつかスパイスを購入。場合により、スパイスはケニアの税関で申告を求められるそうなのでご注意を。

タンザニア12日目

パジェからシャトル(ホテルを回ってくれる乗り合いタクシー)でザンジバルへ戻る。予約なしだったが、Karibu Innへチェックイン。ケニアもそうだが、タンザニアでもチェックインはお昼ころに出来ることが多い。これ、すごく便利。

午後はストーンタウンを散策。夜はフォロダニ広場の屋台でBBQをいただく。お酒が恋しくなったので、夜Barへ。イスラムの街だが旅行者が行くようなホテル、レストランではお酒が飲める。

タンザニア11日目

自転車をレンタルしてJambianiへサイクリング。自転車がどうしようもなくボロく、サイクリング自体は楽しめなかったが、Jambianiでおっしゃれなカフェを見つけランチ。

午後は戻って引き潮の海岸を行けるところまで沖に向かって歩いてみる。おそらく1㎞は歩いたと思う。それでもまだ水は腰下しかない。相当な遠浅の様子。海にはウニが無数にいるので(食べられないという噂)、歩く場合はスニーカーか、かかと付きのサンダルが必須。